シカト(イジメ)に耐えた3年間で得たもの
前回からの続き
日曜日は、一人でウロウロするか家でゲームをします。
急に誰も遊びに来なくなるわけですから異変を察知しても良さそうなものですが、父親は自営業
そんな事には気づいてなかったと思う。
しかし僕もかわいくない中学生で、イジメられている認識は殆どなかったし、僕が悪くてシカトをされているわけではないので絶対に屈することなく毎日を過ごしていました。
挨拶する相手もほぼいなくたまに辛い授業がある。
休み時間はやることがなく
毎日、早く帰りたいとだけ望む日々。
そんな代わり映えのない日々を送っていたのですがある日、机に忘れた国語の教科書を取ったとき、唖然としました。
教科書の殆どにカッターで切れ込みを入れられ、内容もマジックペンでぐちゃぐちゃにされていたのです。
一気に頭に血がのぼりました。
もう許せない。喧嘩するしかない。
全て終わってもあいつだけはボコボコにする。
そう思いAのところに歩いていきました。
『お前いい加減にしろよ。』
そんな感じに言い放ちました。
しかし、しらばっくれるA。
あげくのはてに暴力反対的なことも言う始末。
正直この男の対応には、呆れ果てたというのが素直な気持ち。
ですが親が一生懸命働いたお金で買ってもらった教科書。
申し訳ない気持ちで、家に帰ってからただひたすら泣きました。
教科書は無くした事にして、買い直しました。
恐らく僕がシカトを続けても動じないやつに見えたのでしょう。
傷つかない人間なんているはずがないのですが、何しろ多感な時期です。
多感な時期の弱い人間はそういうものの考え方よりも自分の立場優先なのです。
その後もクラスの殆どと話すことがなく3年間を過ごします。
殆どという表現ですが一部クラスでも目立たない存在の男子数人と空気を読まない変わり者の女子とは日常会話程度なら出来たのです。
これは非常に有り難かった。
弁当は毎日早起きして作りました。
休み時間、体育、音読や各種イベント
これは苦痛でしかありませんでした。
それでも耐えたのは
僕は何も間違ったことはしていなかったからです。
(例え間違ったことをしたとしてもイジメをして良い理屈などはありません。)
卒業式も何事もなく終わり、長い魔の3年間は終わりました。
終わってみて思ったのですが
登校拒否すれば良かったです。
耐えて学校に通ったことに意味を感じませんでした。
『そのお陰で忍耐力がついた』だの『強くなった』だの
そんな風には思いません。
たとえそうだったとして、そんなことのためになぜそんな辛い思いをしなければいけないのでしょうか。
正直に親に打ち明けて、登校拒否して遊んでいれば良かったと思っています。
その方が自由に自分らしく過ごせたでしょう。
辛い3年間よりはよほどマシです。
話は少しそれましたがそして僕はやっと解放された。
楽しい高校生活を送るために
続く