シカトの毎日 親に心配させたくない自分
前回の続きです。
クラスの殆どが僕の存在をないものとするわけです。
これが本当なら、あまりに馬鹿げていると思いました。
『明日になれば終わるだろう』と考えました。
しかし、次の日になってもその状態は変わらないのです。
一番ショックだったのはなんと、僕が庇ったOすらも僕と関わりたくないような素振りなのです。
当然ながらシカトの対象は僕に移ったため、Oのシカトは解かれていました。
真相はわかりませんが、状況は何となく解りました。
AとHを中心としたグループにOが泣きついたか、AかHからOに、僕を無視しようと提案があった。
そんなところだと思います。
とにかくクラスメイトの殆どがシカト
純粋で希望に溢れた中学生の僕に、いきなり地獄が始まったわけです。
学校に来て、点呼をとり
授業をして帰る。
そんな毎日
以前はあんなに勉強が嫌いだったのに、授業が有り難く感じるようになりました。
授業中は、シカトされていても時が進んでいく。
授業に集中しているようにしていれば自分の立ち振舞いに困ることもない。
シカトをされていると、休み時間は苦痛です。
いつも教室以外の場所にいれば他のクラスの子達から不審に思われるし教室にいると何をしていれば良いのかが解らなくなるわけです。
授業に関しても、嫌なことがありました。
それは、音読を当てられる事と体育です。
それまで楽しかった音読が、嫌いになりました。
シーンとしたなかで僕の声だけが響く。
以前なら、楽しく音読をしていた僕が棒読みの音読をするわけです。
そこで、状況を掴めないクラスメイトにも知られるのです。
僕がシカトされていること
体育もそうです。
サッカーやバスケでは、パスもこない。
二人一組になる競技は相手がいないのです。
そこでまた自分が、いかに孤独な状況にいるのかを知るのです。
僕には自営業をしている父がいました。
母は小学生のときに家を出ていきました。
所謂片親というやつですが当時は珍しいことで、子供にとっては気負いを感じる事でした。
僕の通う中学校は弁当制で、皆が親の作った弁当を持ってきていました。
僕は母がいなかったので、菓子パンを持っていく毎日でしたがシカトされてから弁当を毎日自分で作るようになりました。
恐らく片親ということを知られたくないという行動だったと思います。
そんなもん最初からバレバレなはずなのですが
何故かそういう行動をしていました。
体操着にはるゼッケンも自分で付ける。
母がいるかのように見せることで目立つのを回避していたのだと思います。
それと、絶対に休まないと決めて何があっても休みませんでした。
恐らくこれも、周りにイジメに耐えられなくなったと思われたくない気持ちとやはり目立つのを回避していたという事です。
それと親にも迷惑をかけたくなかったのです。
「学校はどうだ?」
と言われて
『楽しいよ。今度の日曜日○○くんと遊びに行かなきゃ行けないなあ』
と、僕のことをシカトしている人物の名前を言い、変わらない日常を送っているように見せかけていました。
そして日曜日はひとりでウロウロするわけです。
ああ、もう朝です。
今日はこのへんでペンを置きます。
記事の最後に長い一言
多感な時期に起こる中学生のいじめは特に外からの力であり自分だけの力ではどうにもならない場合が多い。
基本的には耐えるか、登校拒否という選択肢しかないと思っています。
死ぬという選択肢は、絶対にとっては駄目。
何故なら、その数年間は大きな人生の一片でしかなく、後から必ず笑える日が来るからです。
今現在でさえ、生きる場所を変えれば良いのです。
登校拒否して、楽しく遊べば良いと思う。
学校で勉強することなんて家や通信の塾でも出来る。
私立の高校なら登校拒否による内申が稼げなくても入れる。
(いじめにあって登校拒否していたら内申が下がるこの世の中に疑問を感じるが)
今現在いじめられていて、このブログを読む君、聞いてくれ。
世の中そんな囲いの中の事より楽しい事は山ほどある。
釣りでもいいしゲームでもいい、本を読んで何か学んだりすることも楽しい。
望むなら、どこかで素晴らしい交友関係だって築ける。
死ぬくらいなら、リスカするくらいなら逃げても良い。
楽しいところに逃げてほしい。
そして親御さん、楽しいところに逃がして欲しい。
辛ければ、逃げるべきなのです。
社会に順応できる人間になれるかどうかはいじめとは無関係だと僕は思います。
例えば集団シカトに耐えた僕は、社会に順応しています。
集団シカトですから、さすがに人間不信になりました。
しかし、僕の場合は高校で気が許せる友達が出来て社会でも出来ました。
集団シカトに耐えるくらいなら、楽しい事をしてそれを共有できる人とふれあった方がよほど社会に順応できるようになると僕は自分の経験から思うのです。